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常識がコモン・センスでなくなるとき

安武知子(愛知教育大学教授)

 英語の勉強を始めたばかりの中学生はさまざまな疑問や違和感に直面します。例えば、日本語とは異質の名詞や動詞の形態変化は、不規則活用の存在も含めて、中学生を悩ませるものの一つです。そもそもなぜ、単数と複数とで名詞の形を強制的に変化させ、文中で主語と動詞の数の一致をしなければならないのか、という素朴な疑問に対する答えは、教科書や解説書の中に見当たりません。

 一方、日本語を学び始めた欧米人にとっても、慣れ親しんだ自分たちの言語との違いは新鮮で不思議な驚きのようです。多くの人が発する疑問の一つは、「日本語には名詞の単複の区別が無いというが、日本人は指示対象が単数なのか複数なのかについてどうやって伝えたり、理解したりしているのか」というものです。それに対する答えは「日本語の世界では、事物が単数か複数かを常に意識していなければならないわけではなく、必要なときにのみ、<たち>、<ら>などの接辞を付けたり、<山々>、<人々>などの畳語を用いて複数を示す。具体的な数を伝えたいときは、<1枚><2匹><3人>のように助数詞(数類別詞)とともに明示する。コミュニケーションの内容に特に関わりがなければ、指示対象の数は意識に上らず、結果としてノーコメントになる」というものです。  これと関連して、欧米人が抱くもう一つの疑問は「具体的な数を示すときになぜ助数詞が必要なのか、1、2、3 … のように数だけを示せば済むのではないか」というものである。日本語の世界で育った人にとっては、助数詞はあって当たり前のものだが、それをもたない言語の話し手にとってはいちいち面倒で、習得が楽ではないだろうと考え、同情したくなってきます。しかし、そう言われると、日本語の側からも「そもそも欧米の言語にある単複の区別はなぜ必要なのか。数を1と2以上とに二分して表示することに数学的な根拠があるのか」と問いたくなってくる。こんな疑問は、単複の別があって当たり前の世界で育った欧米人にとって、そのシステムをもたない言語の存在を知るまで湧いてこないのかも知れません。

 名詞の区別ということで言うならば、独仏語などにみられる男性名詞、女性名詞、中性名詞などの文法上の性についてもなぜ必要なのかという疑問が生じますが、それがあって当たり前の人とそのシステムをもたない言語で育った人とでは認識に大きな差があるものです。素朴な疑問のつながりもこのあたりまでくると、世界の諸言語間に見られるシステム上の普遍性と多様性の問題にまで広がる大きな領域の中に入り込むことになります。

安武知子先生の最新刊

2008年5月23日 掲載


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