言語習得研究者の覚醒に向けて

宮崎里司(早稲田大学大学院教授)

 私の専門は、第二言語習得および日本語教育です。とくに、「外国人力士の日本語習得研究」などに関心が寄せられていますが、他にも、多文化共生社会における外国人問題、さらには、アイカメラを使った眼球運動や、テレビ会議システムによる遠隔日本語教育、脳波による言語習得の検証などの観点から、自らの研究志向の軸足を固めようとしています。

 私が所属する早稲田大学は、明治以来、留学生の受け入れに伴う日本語教育を展開してきた国内有数の大学として、その使命を果たしてきました。現在、約80ヶ国、約2200人の留学生の半数が、日本語教育研究センターで学んでいますが、日本語教育の需要増大と多様化に対応できる、高度な実践研究能力を備えた教員養成に対応するため、2001年に、日本初の日本語教育研究科(以下日研)を設立しました。

 そうした日研での研究指導をしながら、私自身の中で、「言語習得は社会の実践共同体の中で展開される」といった認識の変容が起きてきました。同時に、これまでの言語習得研究の成果に強い疑念を持つようにもなりました。たとえば、教室場面での文法・文型習得の問題のみを扱い、教室外での学習者のインターアクション行動にはほとんど関心を示さない態度。また、自然習得とは、「教室外での習得だ」とする単純な定義や、OPI(Oral Proficiency Interview)に代表される、狭義の口頭表現能力判定テストの適性です。その他には、状況的学習論との安易な融合を図ろうとする習得研究に対しても批判を加える必要があろうかと思います。これらのアプローチは、習得研究の質が問われることになりかねず、「言語学研究をつまらなくさせているのは、言語学者だ」といった結果を招く可能性があります。

 こうした流れの中、日研では、今年度後期から、言語教育を政策面から考察する「言語教育政策」研究室を新たに立ち上げることになりました。最近、日本語能力が欠ける場合には、日系人の在留資格を更新しないという試案をまとめた法務省の言語政策観や、日本語教育は、日本が中心だと考える「本家主義」的思想、さらには日本語教育の変化や発展は、日本からの発信を受ければよいと考える「拝日主義」に対し、院生には、しっかりとした言語教育観を醸成してもらいたいと考えています。

 日本語教育は、今大きく変革を遂げようとしています。言語習得研究も、大きな流れの中で、ミクロ・マクロ両面から、しっかりとした座標軸を構築する必要に迫られています。

2006年11月10日 掲載