言語学と学問のイマジネーション

山梨正明(京都大学教授)

 どのような学問の分野も、ここまでがこの分野の学問の世界だという限界はありません。どの分野も、イマジネーションを豊かにして、視点を柔軟に切り換えていくことによって無限に広がっていきます。言語学も例外ではありません。言語学を、せまい意味での言葉の学(あるいは言葉の科学)として解釈するなら、言語現象とその背後に存在する言葉のメカニズムを明らかにしていくことが、一応、この分野の目標ということになります。しかし、その研究領域を、はじめからこのように限定していくことには問題があります。言葉の研究も、イマジネーションを豊かにし、視点を柔軟に切りかえていくことにより無限に広がっていきます。

 言葉は心の機能のあらわれであり、また脳の機能のあらわれでもあります。このように考えていくと、言葉の研究は、心の科学や脳科学の世界につながっていきます。言葉の背後には、脳と心が存在していますが、脳や心が、人間から切り離されて、宙に浮いているわけではありません。その背後には、言葉を話している生身の人間、私たちが生活している環境が存在しています。その環境は、単なる物理的な環境ではなく、生物的な環境、文化・社会的な生活環境でもあります。それはさらに、歴史的な環境であり、生物の延長としてのわれわれが辿ってきた進化の文脈としての環境でもあります。

 言葉は、このようなひろい意味での環境のなかで進化し、発達してきた伝達の手段の一種です。また、言葉の形式と意味の発現を可能とする人間の認知能力は、環境と言語主体の相互作用を反映するさまざまな身体的な経験に支えられています。現在、新しい言語研究の場をつくりつつある認知言語学のアプローチは、身体性を反映するさまざまな認知能力の側面から、言葉の世界を探究していくアプローチです。認知言語学は、言葉の形式的な側面から、意味的、運用的な側面にかかわる言語現象をより包括的に説明していく新しい言語理論として注目されています。

 ただし、どのような理論であれ、その時代を反映する科学観や世界観によって多分に左右されます。実質的な意味でその学問が存続し、新しい展開を遂げていくためには、常にイマジネーションを豊かにして、その学問の背景となっている科学観、世界観を批判的に吟味し、検討していかなければなりません。認知言語学だけでなく、どのような言語学の学問観も、常にこのような批判的な視点から吟味し、検討していくことにより、言葉の真理により近づいていくことが可能となります。

2007年2月9日 掲載