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語法・文法から語用論へ

田中廣明(京都工芸繊維大学教授)

昭和48年4月、神戸市外国語大学という小さな、当時は校舎も戦後すぐ建てられたような大学(高校の校舎より古かったような気がしてがっかりしていたが)に入学した。これで英語だけ勉強すればよい、外大だから英語でしゃべる授業もさぞ多いのだろう、と思っていた矢先に、やはり英文法の授業があった。必修であった。担当は、故小西友七先生である。当時(亡くなられる直前まで担当されていたのだが)、先生は、大修館書店の『英語教育』誌のQuestion Boxを毎月執筆されていた。そこで回答されていた読者からの質問を、大学1年生の、中学・高校の学校文法しか知らない学生に、「君、どう思うね」と毎週のように、聞かれるのである。英語の文法(?)ばかりをお聞きになるのである。まさに、英語の語法であった。例外探しであったように思う。学校文法であれ、規範文法であれ、当時流行の変形生成文法であれ、そこから落ちこぼれていた様々な英語の問題に、正面から取り組む姿勢を教えていただいた。まさか、その後、30年以上にわたって、小西友七先生を恩師と呼べるお付き合いをさせていただくとは、19歳当時の私は考えも及ばなかったことであるが。

まだ、例外探しの旅は続いている。それも、自分で好んで書いてきた話題ではない。私の場合、幸か不幸か、小西先生から与えられた辞書執筆の担当語から、偶然拾い集めてきた話題が多い。あるとき、wordという単語を書いていた。当然、熟語欄を書かなければならない。in other wordsが出てきた。「換言すれば」で終わってもよかった。つなぎ語と呼ばれるその種の語句は、当時、関連性理論や談話を中心とする言語理論での花形であった。関連性理論ではBlakemoreという人がいくつか論文を書いていたのが目にとまったのである。手続き的意味、表意と推意・・・など、知らないことばかりであった。そう言えば「語用論」を体系的に勉強したことはない。断片的な知識ばかりであった。Grice, Austin, Searl,さらにLaurence Horn, Stephen Levinsonなどといった語用論の大家と言われる人たちを、やり直さなければ、という思いが強くなっていったのは、もう30代も後半であったような気がする。

現在は、やはり細かい問題からスタートしている。以前にもどこかへ書いた、I don’t think P = I think not Pという古くて新しい「否定辞繰り上げ」の問題を、語用論、認知言語学、機能文法などの観点から、とりあえずばらばらに探っていこうとしている。

(1) a. I don’t think he saw her did he?
b. I think he didn’t see her, did he?(=(1a))
c. I think he saw her, didn’t he?

 (1a)が、(1b)から派生することが、付加疑問によって証拠付けられている。初期の変形生成文法では、これをもって、否定の(従属節から主節への)繰り上げ変形と見ていたわけだが、(1c)の肯定文にまで、この付加疑問現象が見られる。さらに、

(2) a. I’m not sure he saw her, did he?
b. I’m sure he didn’t see her, did he?(≠(2a))
c. I’m sure he saw her, didn’t he?

という、否定辞繰り上げ述語ではないsure(I’m not sure P≠I’m sure not P)にまでこの付加疑問現象が及んでいる。これはどうしたことであろうか。

 さらに、疑問はつきない。そもそも、I don’t think PとI think not Pの意味が同じであるとは、なぜであろうか。また、英語では、I don’t think PがI think not Pより圧倒的に多いのはなぜであろうか、また逆に本当にI think not Pとは言わないのであろうか。日本語では「私は・・・と(は)思わない」と「私は・・・で(は)ないと思う」は、さして違いがないと思われるのは、英語とどう比べたらいいのであろうか。どちらが例外なのであろうか。

 もちろん、この問題については、先人たちがたくさん書いている。その一つ一つを吟味することから始めなければならない。用例を集め(幸いにしてコーパスという新しい道具が増えた)、意味を考え(当然どういう文脈で、その場合はどういう意味で、が問題となる)、場合によっては、ネイティブ・チェックをし、という作業が果てしなく続くことになる。それでもまだ出発点である。なぜなら、ここまではデータのチェックだけだからである。thinkやsureなどの認識を表す動詞が、なぜ否定とともに使われると、独特の振る舞いをするのか、否定そのものの働きによるものなのか、われわれの認識とどういう関係にあるのか、などまでに突っ込んだ理論的な議論の展開が望まれる。そのための・・・学、・・・論だということになるのであろう。

田中廣明先生の最新刊

2009年7月3日 掲載


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