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皮肉の表現

河上誓作(神戸女子大学教授)

 私たちは毎日のように皮肉の表現を用いています。しかし、皮肉の表現はなぜ言いたいことの逆を言うのでしょうか。実はこのような単純な質問も、言語学的に説明しようとすると大変むずかしい問題なのです。

 実例を観てみましょう。蝶の採集に出かけた父と子の会話です。父親は蝶の採集のベテランで、捕虫網で蝶を捕まえるのは大変自信があります。息子も蝶は大好きですが、まだ上手に採ることができません。二人は大の仲良しで、冗談もよく言い合う間柄です。息子が蝶を採るのに失敗したのを見て、父親が次のように言います。

 (父)「そんな採り方では駄目だよ。こうするんだ。網の振り方をよく見ていなさい。」(A)

ところが、父親も見事に失敗し、蝶を逃がしてしまいました。それを見ていた息子は皮肉たっぷりに次のように言います。

 (息子)「さすが。見事な振り方だね。」(B)

この場合、皮肉の効果を生じない次のような言い方も可能です。

 (息子)「なんだ、下手だなあ。」(C)

これは言うまでもなく、父親が下手であることを率直に述べた実態表現です。

 それでは、この(B)の皮肉表現はどこから来たのでしょうか。

 結論を先に述べますと、皮肉のカテゴリーに属する表現はすべて、父親の(A)の表現が実現し、蝶がうまく採れたときに発する表現なのです。(B)の他に例をあげてみましょう。

「なるほど、そうするわけ。」/「なかなかうまいね。」/「あ、採れた。」/ 「お見事。」/「すばらしいテクニックだ。」等々。

どの表現も立派な皮肉の表現になっています。これらの表現はいずれも父親の自信あふれる(A)のことば(外観)に合わせた表現です。息子は父親のことばを信じ、きっとうまく採るという期待を抱いていましたが、結果はその逆で、がっかりします。「期待(外観)を抱かせておいて、結果(実態)はその逆だった」という認識の落差(外観と実態の複合認識)が父親に対する否定的な評価を生み、その複合認識が父親の失敗を茶化す気持ちを込めて皮肉の表現として発話されたと考えられます。そのとき、外観の認識が皮肉の表現に投影され、実態の認識が表現態度やイントネーションに投影されるというのが一般的な原則です。つまり、口では(A)の外観に合わせながら、態度は実態の認識に合わせるという言と行がちぐはぐな発話行為が生じるわけです。こう見てくると、皮肉の表現は必ずしも言いたいことの逆を言っているのではないことがお分かりいただけると思います。

河上誓作先生の最新刊

2009年7月17日 掲載


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