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計算と記憶:言語処理の脳内メカニズム

伊藤たかね(東京大学教授)

 中学校で習うように、英語動詞の過去形にはwalk/walked, jump/jumpedのような「規則活用」と、sing/sang, grow/grewのような「不規則活用」とがあります。規則活用は「動詞の原形+ed」という規則で計算されるもの、不規則活用は記憶されるもの、と言ったら、当たり前と思われるでしょうか。実は、このような考えが正しいか、20年に及ぶ大論争が行われています。

 英語を話す子供が、goの過去形をgoed(正しくはwent)、holdの過去形をholded(正しくはheld)と言ってしまうような間違いがよく観察されます。goed, holdedという語形を子供が聞いて覚えるとは考えにくいので、このような観察は、子供の言語獲得が単に聞いたことのあるものを丸覚えするだけでなく、「原形+ed」のような規則を身につける過程であることを示すと考えられてきました。ところが実際には、bringの過去形をbrang(正しくはbrought)、flowの過去形をflew(正しくはflowed)と言うような間違いも見られます。けれども、sing/sang, grow/grewのような不規則活用を、規則活用と同じ「規則」とは捉えにくいでしょう。そうだとすれば、実は規則活用も「規則」と考える必要はないということになるのでしょうか。

 規則活用と不規則活用が同じタイプの処理ではないとする立場の研究者は、二者が脳の異なるメカニズムを用いていることを、失語症などの様々な言語障害をもつ人を対象とする実験や、脳機能を計測する実験などの結果から示そうとしてきました。神経言語学、言語脳科学などと呼ばれる分野です。例えば、規則活用がうまくできず、不規則活用はできるタイプの失語症と、逆に規則活用は問題ないが不規則活用はうまくできないタイプの失語症とが、異なる脳部位の損傷に起因することがわかれば、二者が異なる脳内メカニズムを使っていると考えることができます。

 一見英語の活用とは無関係ですが、日本語の名詞形成(「厚さ・厚み<厚い」)に同様の違いが見られることがわかりました。「-さ」は「形容詞語幹+さ」という規則で計算処理され、すべての形容詞に付加できるのに対して、「-み」は高頻度の数十の形容詞にしか付加できず(たとえば、「薄み」とは言えません)、記憶されているものと考えられます。このような考え方が正しいことが、失語症の方を対象とする実験で実証できました。

 このリレーエッセイで多くの先生が書いておられるように、日々私たちが使っていることばの背後には、驚くほど精緻な規則や原則の体系があります。どうしてこんな規則を私たちは無意識のうちに苦もなく使いこなしているのだろう。ことばを使っているときの私たちの頭はいったいどういう風に働いているのだろう。言語への脳科学的アプローチによって、この根元的な問いの答に一歩近づくことができるのではないか、そう期待しています。

伊藤たかね先生の最新刊

2009年7月31日 掲載


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