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規範文法のみで教えることが正しいのか

南 雅彦(サンフランシスコ州立大学教授)

私は、学部生に日本語を教えるだけでなく、大学院レベルの認知意味論・語用論・言語地理学・方言地理学などの言語学諸分野と文化人類学や異文化心理学を含む『社会言語学セミナー』を担当し、また言語心理学・応用言語学・言語教育学などが中心の『第2言語習得セミナー』も教えています。こうした分野で用いられる社会言語学的アプローチでは観察的立場に立った記述文法(descriptive grammar)が中心で、教室で文法を教える際の規範文法(prescriptive grammar)とはその方向性を異にしています。

日本語における存在表現の「いる・ある」の用法は、こうした記述文法と規範文法の方向性の相違を説明する好例です。日本語教育にたずさわっていらっしゃる方は良くご存じだと思いますが、日本語学習者を対象とした教科書の説明、すなわち、規範文法に従えば、「存在するものが人・動物のような生き物(有情)なのか、それとも無生物(非情)かで、『いる・ある』のどちらを選択するかを決定する」ということになります。でも、日本語母語話者なら誰でも、この説明では必ずしも十分でないことは感覚的にわかっています。たとえば、タクシーの運転手と乗客の会話を想定してみましょう。「運転手さん、もっと急いでください!」と叫ぶ乗客に対して、「無理ですよ。後ろを見てください。パトカーがいるんです!」と運転手が答える場合はどうでしょうか。また、時事記事で「核搭載艦はいない」と題した記事はどうでしょうか。私はこれまで日本語に‘ぜんぜん’触れたことがないような初心者を対象としたクラスを定期的に担当していますが、こうした実際の「いる・ある」の用法をどの程度まで教えて良いものか、‘ぜんぜん’むずかしいです。この問題はとても‘悩ましいです’。

上記では、「ぜんぜん」を最初は「ぜんぜん触れたことがない」という否定文、その次は「ぜんぜんむずかしいです」と肯定文で用いました。この「ぜんぜんむずかしいです」ばかりでなく、「悩ましいです」を使用しますと、「日本語を教えているくせに、まちがっているじゃないか!」「若者ことばみたいじゃないか!」と日本語教育にたずさわっていらっしゃる方からはお叱りを受けそうなのですが、古語表現としては、こうした使用はきわめて正しいのです。たとえば、「悩ましい」は元来「悩みが多い」という意味の「なやま・し」で、この用法はすでに『日本書紀』に登場しています。「気分が悪い」という意味では「君は心地もいとなやましきに、雨すこしうちそゝぎ、山風ひやゝかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞ゆ」(若紫)とあるように『源氏物語』にも登場しています。官能的であるという意味での「悩ましい」は、歴史的には最後に登場してきた意味であると考えられます。古代・中世では異性を見て仮に心が乱れてもなかなか表現できなかったものが、近代以降、比較的自由に表現できるようになり、官能的という意味が出てきたのではないでしょうか。元来の意味である「気分や健康がすぐれない、苦しい、つらい」が最近になって復活してきたのかもしれません。

「ぜんぜん」の後ろに肯定が伴う表現に関しても同様です。「ぜんぜん?ない」のように、「ぜんぜん」の後ろに否定や打ち消しを伴うのが正しいと考える傾向が、規範文法としてはあるようです。通常、日本語学習者を対象とした教科書では「あまり」「けっして」「すこしも」「ちっとも」「めったに」などと並んで、「ぜんぜん」は「?ません」とともに使用すると解説・指導しています。ところが、打消しを伴わない「ぜんぜん」は古くから使用されています。明治時代には、夏目漱石も「ぜんぜん+肯定形」を使っていました。たとえば、『坊っちゃん』(明治39年 1906年)では、職員会議で主人公の坊っちゃんが「一体生徒が全然悪るいです。どうしても詫まらせなくっちゃあ、癖になります」と言う場面があります。これに対して、数学教師の山嵐が「私は教頭及びその他の諸君の御説には全然不同意であります」と反論する場面が続きます。同様に、『羅生門』(大正4年 1915年)の中で、芥川龍之介は「これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されてゐると云ふことを意識した」「この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である」と書いています。「ぜんぜん」の後ろに肯定が伴う表現は、夏目漱石や芥川龍之介ばかりでなく森鴎外などの明治・大正期の小説(「好色家が女がうるさいと伝ふと、全然同じ事である」森鴎外『灰燼』大正元年 1912年)、さらには昭和30年代の山本周五郎の作品(「三人とも全然まるはだかであった」『青べか物語』昭和35年 1960年)にも見られる表現だったのです。 山崎豊子原作で、1960年代を舞台にしたテレビドラマ『華麗なる一族』では、木村拓哉が演じる主人公、万俵鉄平が「これならぜんぜんいけますよ」と肯定形で「ぜんぜん」を使用する場面があります(第1話)。これは現代的な用法のように見えるのですが、実は、昭和30年代という時代考証の観点からも‘ぜんぜん’正しいわけです。というわけで、また「ぜんぜん」を肯定文に使ってしまいました。

南 雅彦先生の最新刊

2010年4月2日 掲載


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