教えていただいた日本語学と伝えていく日本語学の間で

安部清哉(学習院大学教授)

 自分の大学学部時代の講義の記憶は、四半世紀も過ぎた今になると、興味のあった日本語学や言語学関係でさえ、もはや断片的である。それでもいろいろ面白かったという印象は、その先生の講義の時の様子や人となりと共にいろいろ浮かび上がってくる。東京大学の鈴木泰先生には、学部3年時に友人1名と読書会をお願いしたらライオンズの『理論言語学』ならということで授業外に研究室で3人だけの講読をして戴いた。紙フィルタは紙のニオイが出るからと、茶色くなった布フィルタで毎回美味しいコーヒーを入れて下さったが、それがいまの言語学の基礎的知識となった。鈴木先生には、築島裕先生の調査依頼ということで御伴させていただき、中世後期の訓点資料である般若経の撮影をしたことがあるが、そのお寺は、実は佐藤亮一先生のご実家であったことを、大学院の後輩となってから知ることとなった。訓点資料を実見したのはそれが最初で、佐藤先生とは後にフェリス女学院大学でご一緒して今にちまでのご指導を得ているので、不思議なご縁を感じている。学部集中講義の鈴木英夫先生の講義では、なぜか山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』からの「おおね→大根ダイコン」「ではる→出張シュッチョウ」等の和語の漢語化が面白く思われ、今ではその話とその時の先生のお顔しか記憶にないから不思議である。非常勤の阿部八郎先生の演習は安原貞室『かたこと』で、近世の京都語の新旧の入れ替わりや俗語等の口頭語の世界をのぞくことができた。文献で過去の「方言」を意識した最初かもしれない。佐藤武義先生の『三宝絵詞』の演習では、『名義抄』『色葉字類抄』等の古い辞書の使い方をお教え戴いたが、皆も何度も「声点の位置も注意して間違いなく写すように」と注意されていた。言われるままにいろいろ図書館で調べているのを見た友人に「安部は調べる勉強がそんなに好きなのか?」とイブカシゲに聞かれ、その時“自分は調べるのは苦にならず、どうもこういう方面は好きなのかもしれない。”と初めて自覚するきっかけとなった。その後、大学院に進学することとなるが、それもその演習での作業が導いてくれたように思われる。

 いま教える身となり、どのような話や内容なら10年以上後まで記憶に残すことができるだろうか、と時折思うことがある。こちらとしては、難しくても専門的に多少込み入ったところが醍醐味と思ってはいるし、譬え記憶から消えても、言語学での思考法や言語への理解というものは形を変えて影響する(してくれるもの)とも思ってもいるが、毎年授業最後に書かせる「一番印象深かった日本語史の話」で挙がる事柄は――以前より時代的にも内容的にも多様化していると感じるが――毎年の講義で網羅しておこうと思い、参考にしているこの頃である。

2008年7月4日 掲載