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私の言語学の課題の見つけ方

西光義弘(神戸大学名誉教授)

言語学の研究の方法には研究者の性格などによっておのずと異なってくる。細かい事実を積み重ねることによって一般化に達する人もいれば、大きな構想から出発する人もいる。私自身は一見したところ矛盾すると見られる現象から出発し、その矛盾が実は表面上のものであり、首尾一貫した説明原理が別の観点から見出されるということを示すことが出来る場合がある。自動詞・他動詞の日英対照がそのような例である。詳しくは近刊の西光義弘・プラシャント パルデシ編『自動詞・他動詞の対照』(くろしお出版)をごらんいただきたい。

 ここでは最近始めた研究の話をする。出発点は昨年の春にアメリカ人女性言語学者に来ていただいて講演をしていただいた後の懇親会での雑談であった。その席でひとりごとのことに話が及び、女性が満足のいく化粧が終わったときになんと言うかということが話題にのぼった。日本人日本語教師の女性は関西人らしく「よっしゃ」というといったのに対し、アメリカ人女性言語学者はそのような気持ちを持ったとしても何も言わないといった。男性が知らないところで日本人女性がそのようなことを言うか言わないかということにも興味があったが、何よりも文化差があるらしいということが気になったのである。その後確かめたところ日本人女子学生は「よしっ」というのが一般的であることがわかり、ロシア人女性はアメリカ人女性と同じく何も言わないということが明らかになった。興味深いのは中国人女性はジェスチャー(人差し指と中指を立てるV字の手)をするか、あるいは、「好。」(HAO)と言うということであった。

そこで日本語と中国語の共通点を探してみるとともに聞き手を意識した文末表現が存在することを思いついた。日本語では敬語表現、終助詞などがあり、中国語では語気(助)詞といわれるいわゆる「聞き手目当てのモーダリティ」がある。モーダリティの研究書を見ると英語でかかれたものには「認識的モダリティ」「存在的モダリティ」「束縛的モダリティ」などの区別はあるが、「聞き手目当てのモダリティ」に対応するものは存在していない。そこから引き出される可能性としてはどうやら英語では発言すればすなわち聞き手に向けて行ったということが成立するのだろうということである。それに対して日本語および中国語では聞き手目当てのモダリティが表出されていない発言はひとりごとである可能性を持っていることになる。

 社会学者のErving GoffmanがLanguage誌上に“Response cries”というひとりごとに関する論文を書いており、アメリカ英語ではひとりごとを言っている人を見ると精神的に異常をきたしているとみなされるというスティグマがあるということが述べられている。日本語でも聞き手目当てのモダリティを持つ文をひとりごとで言うと同様にみなされる。

 間接発話行為について考えてみると日本語では女性がボーイフレンドと一緒にいるときにおもわず「わー、これいい。」とひとりごとを言って、間接的に「買ってほしい」とねだることが出来る。しかし英語で書かれた語用論の研究書や概説書ではひとりごとによる間接発話行為に触れたものはない。

 このようにあまり言語現象として考えられたことのない「ひとりごと」を深く考察することによって言語理論に対する貢献が出来る可能性が出てきたのでさらに考察を重ねている今日この頃である。ともすれば注目を集めている現象に目がいきがちであるが、誰も気がついていないところに面白い現象が転がっており、そのような現象がもつ理論的意義を考えることは冒険であり、わくわくする気持ちを起こさせるものである。

西光義弘先生の講義動画「ひとりごとの言語学(1)」(くろしお言語大学塾)もご覧ください。

西光義弘先生の最新刊

2010年6月25日 掲載


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