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三つ子の繰り返し

山口治彦(神戸市外国語大学教授)

 ずいぶん以前のことである。あれは息子が3歳くらいの頃だったか。ことばをやたら繰り返してくる時期があった。

   父:そろそろ葉っぱが赤くなってきたなあ。
   子:はっぱがあかくなってきたってか。
   父:うん。お日さまいっぱい浴びてな,それから,
      寒い寒いってなったらな,赤ぁーくなるねん。
   子:さむいさむいてか。

 とまあ,こんな感じである。あるとき息子に理由を尋ねてみた。すると,

 だって,そしたら,お父さんがいっぱいお話ししてくれるんやもん

 と言う。なるほどと思った。息子が繰り返す。私は繰り返されたことばに関して説明をする。息子はまた繰り返す。私はさらに説明を加える。そうやって律儀に会話が紡がれていった。相手のことばを繰り返すとお話をしてもらえる。それは幼い息子が見出した最初の会話ストラテジーだった。

 では,なぜ,相手にことばを繰り返されると説明してしまうのだろうか。

 今しがた発せられたことばが繰り返されるとき,会話が先へ展開していくための新たな情報は提示されない。だから,この種の繰り返しは会話を前へ進めはしない。むしろ,後ろへと引きもどす。繰り返されたもとの発話に対話者の注意を向けて,そのことばに関して一定のやりとりを要求する。ここでいう一定のやりとりとは,たとえば,相手のことばが聞き取れなかったので再度伝えてほしい,聞き取れはしたがそのことばがにわかに信じがたいので確認願いたい,そのことばにわが意を得たのでそのことをもっと強調したい,等々,会話がそのまま進行することをよしとせず,一度引きとめたうえで再出発を促す意図を担う。つまり,コミュニケーションがどこか十全ではないことを示しているのだ。

 冒頭の息子の繰り返しもその点では同じである。私のことばを繰り返すことによって,「葉っぱが赤くなった」ことに関する情報提示がじゅうぶんでないと表明する。それを受けて私は生まじめに説明を付け加える。結果として「いっぱいお話」をすることになる。息子の会話ストラテジーの背後にはこのような必然があったのだ。

 伝達がじゅうぶんではないことを表明するために相手のことばを繰り返す。おそらくそれは引用の原初形態である。引用と言えば,過去の発話を報告・再現するものが一般には想起されるが,今ここにはいない他人のことばを思い起こして報告することよりも,対話者のことばをそのまま繰り返すほうが,ずっと単純で労力を必要としない。

 ところが,この引用の原初形態は,ギリシャ・ラテンにまで遡る話法の研究史のなかで,ほとんど無視されてきた。引用と言えば,報告・再現を意味した。げに恐ろしきは最初の思い込みである。話法研究に植えつけられたこの「三つ子の魂」は,100年どころか,1000年も生き続けた。そして,3歳の子どもだって行う引用の原初的用法は,継子の扱いに甘んじてきた。そろそろこの不当な境遇を正さねばならない。今は懐かしい息子との引用問答を想い起こして,そのようなことを考えた。

山口治彦先生の最新刊

2010年8月6日 掲載


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