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連載: 「ことだま」というもの

安井稔(東北大学名誉教授)

3. 認可表現と言語学の立場

 日本においても、ことば狩りは、社会全体をおおう晴雲のような様相を呈している。それは、身体的なハンディキャップを示す語の場合、特に著しい。もちろん、ことば狩りは、ほかの分野でも広く行われている。例えば、「裏日本」はいけないという。そうなると、「裏玄関」、「裏門」、「裏庭」、「裏取り引き」、「裏の畑」等々はみんな、使用禁止となるのであろうか。

 本来的には、これらの表現を用いるべきところに別の表現を用いるとしたら、その際の不便は量りしれないものとなるであろう。そういう不便を、社会全体に及ぼすことば狩りを野放しにしておくようでは、文化国家の名が泣くのではないか。

 悪いのは、短絡的な優劣の価値判断であって、「違いがある」という認識ではない。違いはあるが優劣はない、という関係はいくらでもある。AとBとを比較すれば、違いは当然問題となる。その違いを問題としてはならない、ということになると、科学はもちろん、いっさいの学問、芸術、文化は、存在の基盤を失うことになる。

 ここで、身体的ハンディキャップとかかわりのある語の例を一つだけ挙げることにする。次の(3)は「めくら」を語頭に持つ語のリストである。

(3)めくらめっぽう、めくら窓、めくらまし[ただし、「めくら」からの派生語ではない]、めくらへび、めくら判、めくら長屋、めくら将棋、めくらじま、めくらごよみ

これらの語が、そもそも、ことば狩りの標的となることがありうるのかということ自体おかしいと思われる向きもあるかもしれない。注意すべきは、これらの表現が、「めくらみすず」を除きすべて「非生物」([−animate])を指し示している語であると言う点である。その場合「めくら」は、メタファーであることになる。メタファーをことば狩りの対象とするのは、ちょうど、娘に化けたきつねを捕らえようとして、目の前の立ち木になわを掛けるようなものである。

 ちなみに、和英辞典で、「めくら」を引くとblindが出てくる。このblindは、ちょっと意表をつかれた気がするが、まったく差別語ではない。盲人、盲学校、盲人教育をはじめ、各種の盲人団体など、すべてblindを用いている。

 これらのことを言語学的にみると、その眼目は、「単語と、それによって指し示されるものとの関係は、本来、恣意的(arbitrary)なものである」というに尽きる。「バラ」の花は、バラの名で呼ばれているから芳香を放つのではない。その芳香は、他のどんな名前で呼ばれても、変わることはない。

 逆に、名前を変えればその名前によって、指し示されるものも変わるか、というと、そういうことはない。「スカンク」を「バラ」という名前で呼ぶことにしても、その臭いが消えるわけではない。「夢の島」に、ロマンチックな幻想を抱くのは、名前とそれによって指し示されるものとの関係を現実的に見定めることをしないところに生ずる。

 数字にまつわる迷信の多くは、外国語に訳すと、その功力の大半は消滅する。fourは「四」に当たり、「四」は「死」に通じ、縁起が悪い。だからfourは用いない、などという人はいないであろう。ことばをいくらいじり、変えてみたところで、それによって指し示されるもの自体は変わらない。ということは、上で述べてきたすべての事例に当てはまる。「めくら」を「盲人」あるいは、「視覚障害者」と言い換えれば、私の目が見えるようになるか、というと、そんなことはないのである。ことばによることばの言い換えは、気安めにすぎないことになる。とすると、ことだま論議も、認可表現論議も、ことば狩り論議も、みんな、実質を伴わない、いわば、ことばの遊戯、ことばの空回りにすぎないことになるのであろうか。そうではない。

安井稔先生の最新刊

2007年7月6日 掲載


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