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言語が語る意味の世界

廣瀬幸生(筑波大学教授)

 私の言語研究の中心は、言語における意味の問題について考えることです。言語が語る意味の世界は客観的な世界そのものではなく、われわれ人間の目を通した世界です。したがって、言語の意味を考えるときには、人間がものごとをどのように捉え、理解し、判断するかという視点が不可欠となります。

 たとえば、具体的な状況を思い描かない場合、われわれは任意の二つの個体A, Bに関して、「AがBの上にあれば、BはAの下にある」や「AがBの近くにあれば、BもAの近くにある」という推論が論理的に妥当であると考えます。ところが実際の言語使用では、このような推論は成り立ちません。日英語ともに、「辞書は机の上にある」(The dictionary is on the desk)や「自転車は僕の家の近くにある」(The bicycle is near my house)は自然な表現ですが、「机は辞書の下にある」(The desk is under the dictionary)や「僕の家は自転車の近くにある」(My house is near the bicycle)は非常に不自然な表現になります。これは、人間の空間認知における非対称性という性質から説明されるものです。つまり、われわれの空間表現では、より動きやすいと捉えられるものを、より動きにくいと捉えられるものとの関係で位置づけるのであって、その逆ではないということです。

 同様な現象は、全体・部分関係の捉え方についても見られます。この場合も、具体的な事象を想起しなければ、「BがAの部分で、CがBの部分なら、CはAの部分である」という推論は論理的に妥当だと思われます。しかしながら、日常言語ではこのような推論は必ずしも成立しません。たとえば、身体とその部位の関係について、「体には腕が2本ある」(A body has two arms)と「腕にはひじがある」(An arm has an elbow)はどちらも自然な表現ですが、だからといって、「体にはひじが2つある」(A body has two elbows)というのは日英語ともにかなり不自然です。これは、ある部分に注意を向けるときはその部分が際立つ領域だけを全体として背景化するという人間の知覚上の制約からくるものです。つまり、人のひじを見るときは腕を背景にすればもっとも際立つため、ひじは腕の部分と捉えられますが、体全体を背景にするとほとんど際立たなくなるため、ひじは体の部分とは知覚上捉えにくくなるということです。

 このような観点から言語の意味を深く考えていくことによって、「言語は精神を映す鏡である」ということが実感できるようになってきます。私はそこに言語研究の醍醐味を感じます。そして、多くの若い人たちにも、人間学としての言語研究の奥深さを味わってもらいたいと思っています。

廣瀬幸生先生の最新刊

2007年7月27日 掲載


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