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英語の歴史に興味をもつ訳

天野政千代(名古屋大学教授)

 世界には様々な言語があり、ドイツ語やギリシア語のように時制、数、人称、性、格語尾などを表す語尾変化が豊かな言語もあれば、英語やスカンジナビア語のようにそうした語尾変化が非常に少ない言語もある。地球上の多くの言語が語尾変化の多い言語から少ない言語へと変化しており、この変化は水平化(leveling)と呼ばれている。理由は不明であるが、英語はその水平化を最も強く受けてきた言語の1つであり、水平化の影響は思いがけない形で英語に現れることがある。

 私が中学校1年生に入学して初めて英語を教わった頃、助動詞(auxiliary verb)としてのdoを用いて否定文や疑問文をつくることを学んだ。しかし、will, can, may, must, shallといった法助動詞(modal auxiliary)、be動詞、完了のhave、それに本動詞(main verb)としてのhaveがある場合は別で、こうした場合はdoを用いないで否定文や疑問文をつくりなさい、とのことであった。問題は、本動詞としてのhaveであり、他の本動詞とは異なり、この場合だけI have not a book.やHave you a book?のように、doを用いずに否定文や疑問文をつくりなさいということであった。2年生になった時も英語は同じで先生であったが、最初の授業で、今日からは1年生の時とは違い、本動詞haveの場合もdoを用いて、否定文や疑問文はI don’t have a book. やDo you have a book? のようにすることになったから、気をつけなさいとのことであった。私だけでなく、多くの生徒が戸惑ってしまった。しかし、13世紀くらいまで英語の歴史を遡ると、助動詞としてのdoは未発達で、どの本動詞でもI read not a book. やRead you a book? のような否定文や疑問文が普通であった。助動詞doの用法が確立したのは、16世紀以降と推測されている。

 以上を説明するために、まず学ぶべきは、自由形態素(free morpheme)と拘束形態素(bound morpheme)の区別である。自由形態素とは単独で現れることができる普通の単語一般であり、拘束形態素とは多くは前述の語尾変化のことで、例えば-(e)s, -(e)dのような現在、過去という時制を現す要素である。拘束形態素は単独で現れることができないため、次のように本動詞と合体しなくてはならない。have + -(e)s → has, have + -(e)d → had, come + -(e)s → comes, come + -(e)d → came。この合体の仕方には少なくとも2通り考えられる。本動詞の方が時制形態素を救うために、時制形態素の方に移動していく方式と、時制形態素が救いを求めて本動詞の方に移動していく方式とである。少なくとも、13世紀前まではまだ時制形態素に活力があり、自立はできなくても、本動詞を引き寄せる力があったが、それ以降は活力を失い、本動詞と合体するために自分のほうから移動していくしかなかった。水平化がさほどまだ進行していなかった13世紀頃までは時制形態素に活力があったが、水平化が進むにつれてその活力を失ってきたと言ってもよい。

 しかし、13世紀以降も本動詞にすり寄っていくだけが時制形態素が生きる道ではなかった。その1つの策は前述の法助動詞に寄生することであり、法助動詞は現在形でも過去形でも常に時制を伴う特殊な単語となった。しかし、多くの本動詞はそのような特殊な単語にはならなかったため、時制形態素は救済を求めて本動詞のほうにすり寄っていくことになる。しかし、それを妨害するものがあり、その代表格が否定辞のnotと主語名詞句である。そのため、「時制形態素―not―本動詞」、「時制形態素―主語名詞句―本動詞」という連続では、時制形態素の本動詞への移動は許されないため、これを救済するために登場したのが助動詞のdoであった。それにより、次第にHe does not like it.やDoes he like it?という形の否定文や疑問文が確立してきた。その意味ではdoは究極の救済者であった。

 しかし、すべての動詞が一斉に時制形態素への救済的移動を止めたのではなく、むしろボランティア的に時制形態素の救済に乗り出すものもあり、be動詞や完了のhaveなどの助動詞がそれである。本動詞のhaveもつい最近まで救済者であり続けたのは、それが完了のhaveと形式が同じためであることは容易に推測できる。もしも水平化がなかったなら、時制形態素は今でも活力があって本動詞を引き付けることができ、今でもI have not a book.やHave you a book? のような文が中学校や高校で普通に教えられ、I read not a book.やRead you a book? のような文までが教科書に登場していたかもしれない。

天野政千代先生の最新刊

2007年9月14日 掲載


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